ショートストーリー<2>
ある朝の奇妙な依頼

 それはとても奇妙な依頼だった。
 そして依頼者は、とても普通のサラリーマンだった。なんだか違和感があるくらい普通だった。初めの挨拶の交わし方も、本題に入る前の気候についてのどうでも良い話も、特別面白いわけでもないが、かといって話下手でもなく、長すぎず短すぎず、ちょうどよい頃合いで自分の依頼したい建物について語りだした。

 サラリーマンと言われれば、ほとんどの日本人が頭に思い描くであろう代表のような人物が望む建物は、世界中のどこを探しても、世界中の建築史を紐解いてみても存在しないと思われる建物だった。もちろん建築家の彼にそんな建物の設計の経験はない。サラリーマンの代表は自分の欲しい建物の詳細については熱心に説明するが、なぜそんな不思議な建物が欲しいのかは語っているようで結局は語らなかった。普通のサラリーマン代表はおそらくこの世で初めて誕生するであろう建物のためにすでに土地まで用意していると言った。

 そもそもこの建築が実現したとして、それは果たして建築物なのだろうか。例えば役所に建築の申請は必要なのか? 施工してくれる工事業者はいるのか? 検査官は完了検査で何を検査するのだ? 建築家は正面に座る依頼者の特徴を掴みづらい顔を眺めながらそんなことを考えていた。

 設計料はいくら位お支払いすれば宜しいのでしょうか? サラリーマンは嫌味のない笑顔で言い、あ、もちろん監理もしていただきたいので、設計監理料ですね。と続けた。先生のWebサイトで監理の重要性、必要性を勉強しました。とてもわかり易かったです。ぜひ設計監理でお願いします。

 建築家としては非常に嬉しい言葉であり、理想の依頼者だが、このまま話をすすめるべきかどうか彼は迷っていた。何しろ世界で初めての建物だ。いや建物と言って良いのかわからない。そもそも用途が不明だ。なんのためにこのサラリーマンはこんな、……モノ、が欲しいのか。
 とにかく建設地の情報が欲しい、どんな建物であってもその土地の持つ性格を読み解かなければ始まらない。という意味のことを言った。

 そうですね。そう書かれていましたね。うっかりしていました。もしよろしければ今から一緒に見に行きませんか? 先生の事務所からすぐ近くなんです。

 正直彼は、今日の初回の打合せはこの程度にして、土地の情報等はメールなどでもらうつもりでいた。ひと呼吸おいてから建設予定地に赴き、世界初の建物が建てられるかもしれないその土地と、この不思議なプロジェクトについて一人静かに会話するべきだと考えていたからだ。そしてそれが新しいプロジェクトが始まるときの彼のルーティンでもあった。そうすることで、それぞれの土地が持つ固有の性質──風の向きや光の反射、水の流れ、空の匂いなど──が見えてくる。そこに建つべき建築の、これからつくられるだろう建築の手がかりをぼんやりとだが掴むことができる。それは後ろ足をかろうじて触る程度だったり、しっぽを掴める程度のものだが、最初のステップとして彼がいつも大切にしている行為だった。
 しかしこの流れで依頼者になるかもしれない人の誘いを断れるほどの鋼の神経を彼は持ち合わせてはいなかった。

つづく?

「工事監理者」はだれですか? 敷地・法令調査