2020年の東京オリンピックでボランティアの方が着るユニフォームが発表されました。『ネットでは「あまりにダサいデザインだ」と酷評だらけ』とユニフォーム発表時よりも今の方がニュースになっています。
おおまかな流れとしては、
【1】ユニフォームのデザイナーがコンペでタマキフジエ氏に決まる。
【2】舛添知事、定例記者会見でユニフォームを発表。
「色々なデザインを出してもらい、分かりやすいということからこのユニフォームを選びました」
【3】ネットでひどいデザインだと酷評。
【4】タマキフジエ氏に仕事にも支障がきたすほどの誹謗中傷。
【5】タマキフジエ氏、ドン小西氏に相談。
【6】ドン小西氏
「東京都にも問題がある。次世代の新人デザイナーを起用するなら、もっとリスペクトが必要だと思うね」
「若いデザイナーのアイデアや意見をもっと取り入れるべきだった」
「都からは帽子やバッグそしてポロシャツのデザインをしてくれとアイテムを指定したらしい。
要は、都の職員の頭には、スポーティ=ポロシャツしか浮かばなかったのだろうな。」
などと擁護。
【7】ネットでも、なんだかおかしいぞ。最初のデザインとはどうやら違うらしい。タマキフジエ氏は悪くないのでは?という流れに。
【8】で、ネットの声。
「東京都観光ボランティアのコスチュームがダサいのはどう見てもデザイナーの責任じゃない」
「これ、原案は可愛いか格好いいのだったんだろうけど、都のお偉いさんにあーだこーだ言われた結果この有様なんだろうなぁ…」
「デザインの過程で東京都の役人からあり得ないような注文をいくつも押し付けられ続けた成れの果てなのではないか」
「役所のおじさんたちにデザインについて意見する機会を与えるとこういうことになるのよね。」
「お役所チェックの成れの果て感すごい…。」
という流れなのです。本当かどうかは分かりません。分かりませんが、
↑のように言われてしまう役所、↑のように言われても違和感のない役所っていうのはやっぱり問題だと思うのです。
実際にデザインなんてしたこともないのに、デザインの勉強なんてしたこともないのに、デザインでお金を稼いだこともないのに、
デザインに口出す役所の人っていますよね、確かに。
それ、あなたの個人的な趣味ですよね、っていうのを押し付けようとする人いますよね。
私がその立場ならプロに対してそんなこと恥ずかしくてとてもじゃないですが、
出来ないし言えないと思うのです。でも、彼らは平気で口を出す。それがとても不思議です。
もし本当に↑のようなことであったのなら、どうしてプロでやって来た人のデザインに自分が口を出せると思ってしまうのかなあ。
ましてや、ユニフォームのデザインっていう、普通中々関わることのないジャンルのデザインに。
「服飾課」なんて部署ないと思うんだけどなあ。どれだけユニフォームのデザインについて勉強したのかなあ。都民はそんなことあなたに期待していないと思うんだよなあ。
どうして出来ると思ってしまったのかなあ。みんながあなたの言うことを聞くから偉くなったと思ってしまうのかなあ。そうだとすれば、なんだか可哀相だなあ。
だって、↑のような感想が珍しくもなんともないってことは、もうみんな、諦めてるってことだもんなあ。
【お役所チェックの成れの果て】にみんな慣れてしまっているけど、
当のお役所の中の人がその弊害に気付いていないだけで・・・。
ドン小西氏の
「東京都にも問題がある。次世代の新人デザイナーを起用するなら、もっとリスペクトが必要だと思うね」
これに尽きるね。
だってそのデザイナーは自分の名前で商売していて、失敗したら自分のせいで仕事が減るから、デザインの評価が生活に直結するんだから、まさに命かけてます。
そういう生活をしたことのない役所の人が、表に名前の出ない安全地帯であーだこーだだもんね。
このタマキフジエ氏はファッションデザイナーなのだからまさにこれでご飯食べてる人なんだよね。ましてやコンペで選んだのなら任せるべきだったね。
偉けりゃ、一円でもいいから自分のデザインで他人様からお金をもらってみろってんだ。
2015年7月