平成28年熊本地震の被害状況調査で思ったこと。

↑の依頼が熊本県嘉島町より日本建築家協会にありました。

私は7月7日、8日と被害状況調査員として嘉島町に行ってきました。
不謹慎かもしれませんが、被災家屋の状況をこの目で見たかったのが一番理由です。
次は南海地震と言われる中、絶対に見ておくべきだと思ったのです。

災害派遣ということで、↑のような書類も頂けました。

車移動なら高速道路は無料です。
予定していたルートは、和歌山から高速道路で大阪の南港に行き、フェリーで新門司港。
新門司から熊本まで高速道路でという予定でしたが、結局書類の不備で出発には間に合わずでした。
新幹線となりました。新大阪から熊本まで乗り換えなしの一本でいけるので便利です。

嘉島町は震災後に頻繁に報道されていた大きな被害の出た益城町の隣に位置します。
屋根にブルーシートがかかった光景が普通になっている町です。

町民会館が対策本部となっていて、そこに全国から派遣された自治体の職員の方たちと、
建築家協会の者が集まっています。
嘉島町には、長野県、静岡県、福島県の職員の方が来られていたと思います。

行政の方と建築家協会の人間で5人で一つのチームをつくり、
調査の申請のあった住宅の被害の程度を調査、判定していきます。

朝8時15分に集合し、その日の調査チームの構成や調査家屋の割り当て、注意事項などを聞き、車で調査家屋に向かいます。
対策本部では、ペットボトルの水やチョコレート、カップ麺、ソーセージパンなどは自由に飲食してよく、筆記用具や雨具なども数多く用意されています。
面識のない者同士でチームを組むのもあり、みなさん努めて明るくて高校のクラブ活動の合宿所のような雰囲気です。

現地に向かい、図面のない建物は間取り図をおこすことからはじめます。
我々は、専門家として損傷の度合いを判定する役目であり、
間取り図作成は役所の人間がします、とのことだったのですが、
現場ではそうもいかず、やはりチームの方から無言の圧力があるわけです。
専門家なんだから、描いてくれないかなぁ、という視線が痛いわけです。
まあ、当然私が描いたほうが早いので、引き受けます。
後で聞くと、建築家協会の人間は皆同じような状況だったそうです。
皆で、聞いてたのと違うよなぁ、わかってたけど・・・。と笑い合っていました。

現地では外部の損傷の判定と内部の判定とに2つに別れ調査をしていきます。

内部の土壁が落ちたままだったり、階段の踏み板が外れていたり、浴室の壁が落ちて外が見えていたり・・・。

震災後から住民の方は上がっていない(見るのも嫌という方が多かった)という2Fに上がると、
震災直後かのようにタンスは倒れ、物は散乱し、割れた窓ガラスが床に散らばっていたり・・・。

という状況の中、みなさん笑顔で我々を迎えてくれます。
和歌山から来た、と言うと、遠いところから・・・、ととても恐縮してくれ、
南海地震の心配をしてくれます。
冷たい飲み物を用意してくださる方も珍しくありません。

写真は本震(2回めの大きな地震)の揺れで、柱が左の束石(四角の石)からズレたというか跳ねて、こうなったそうです。

この家屋はもちろん全壊判定なのですが、その隣のブルーシートがかけられた母屋では、住民の方が日常を過ごしています。

↑仮設住宅です。

調査を終え、夕方5時頃、対策本部に戻り、損傷の程度の集計などを行います。
そして判定が出るのですが、判定する住家の被害の程度は、「全壊」、「大規模半壊」、「半壊」 又は「半壊に至らない」の4区分になります。

区分によって、家屋の解体費用や国などからの見舞金などの金額が変わるそうです。
また、仮設住宅への入居にも影響があるとのことです。

できるだけ早く行うべき調査なのですが、熊本ではまだまだたくさんの方がこの調査を待っています。
しかし、5人一組で行うこの調査も、時間的に一日に4件程度しか調査ができません。


↑の報道資料ように和歌山県内でも各市町村職員の方が
途切れることなく調査員が派遣されています。

行政職員の方はもちろん公務として派遣されています。
しかし、私たち建築家協会の人間はみな、完全なボランティアでした。

1円も支給されませんし、熊本に向かう交通費も自腹です。
同じ場所で同じ公的業務を行っているのに、一方は仕事で、一方は仕事を休んでのボランティアという面白い状態でした。

嘉島町以外の行政の方は、このことを知らないようでしたが、一人の方にこれを言うと、信じられない、嘘でしょ、とものすごくビックリしていました。

建築家協会所属の民間人も同じ調査を行うためにボランティアで派遣されていることは、おそらく和歌山の行政の方はご存じないと思います。

よくやったと讃えてほしいと言っているのではありません。
世間に発表して欲しいと言っているわけではありません。
ボランティアと分かって行っているのだから、手当が欲しかったと言っているわけではありません。
いい経験をさせてもらって感謝しているくらいです。

ただ、和歌山で震災が起こった時にどうするのかを考えて欲しいのです。
専門家の技術を提供してもらうのに、いつまでもボランティア頼みというのは難しいと思うのです。
いつか人間は息切れします。

和歌山は大丈夫なのか。
震災後の和歌山のブルーシートだらけの光景を想像すると寒気がします。

嘉島町は、たまたまコネクションがあったのか、建築家協会に支援の要請を行い、調査がスムーズに進みました。

しかし隣の町では、建築家協会に支援を要請するという方法があることも知らず、遅々として調査が進まなかったと聞いています。

嘉島町に建築家協会のはなしを聞き、要請をしようとしていると聞きました。
その時でまだ2千棟以上残っていると言っていました。

さすがに、これ以上自分の仕事を休んでのボランティア活動はしんどい、と建築家協会の九州支部の方もおっしゃっていました。

がんばれ熊本。

どうする和歌山。

2016.07.29